ワーシップミニ講座

3.ダビデの捧げた礼拝賛美(P&W)
旧約聖書のダビデの時代は、礼拝と賛美の全盛期です。全盛期の礼拝は、どのようなものだったのでしょうか。
ダビデの「プレイズ&ワーシップ(P&W)」は、単なる式次第としての賛美ではなく、神様と礼拝者との生き生きとした交流の時でした。そして、神様に捧げるのにふさわしく訓練された聖歌隊奉仕者達も整然とした賛美をリードしたのです。情熱と秩序という、バランスの取れた賛美礼拝だったのです。新約時代に於いても、この旧約聖書を参考にして賛美を捧げていたと考えられています。
そこで、ダビデの捧げた礼拝を中心にしてP&Wについて考えてみたいと思います。
■幕屋とP&W
P&Wと幕屋と、一体何の関係があるのでしょうか?出エジプト時代、神様はモーセに幕屋を作るように命じられました。その目的は、「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。」(出エ25:8)為でした。幕屋はイスラエルの民にとって、礼拝の場所であり、神様のご臨在される所でした。そして、賛美も神様の住まわれる所です(詩22:3)。聖書全体を通してのメッセージとは、「神が人間と出会う目的(神が人と住まわれる)」と言えます。ですから、この幕屋について知ることは、神様を礼拝し賛美することと、とても関係が深く大切な知識になるのです。
■契約の箱=神様のご臨在
モーセの時代に定められた幕屋礼拝では、大祭司は年に一度、幕屋の至聖所に入り、契約の箱を覆うケルビムの翼の間で神様と会見しました。(出エ25:22)契約の箱は、神のご臨在そのものであり、イスラエルの力と祝福の源でした。
ところが、サウル王の時代になると、「霊的暗黒」時代となってしまい、契約の箱はいったん、ペリシテ人によって奪われてしまいます。そして、契約の箱がせっかく戻ってきたのに、「サウルの時代にはこれを顧みなかった。」(Ⅰ歴13:3)とあるのです。
しかしダビデはこれを取り戻し、礼拝を回復させました。ダビデは神のご臨在を切に求めた人だったのです。
■ダビデの悟った礼拝のいけにえ
また、ダビデは礼拝のいけにえが何であるのかを悟った人でもありました。詩篇50篇には、神様が求めておられる本当の礼拝のいけにえが、アサフ(ダビデに任命された歌うたい)によって歌われています。
「聞け。わが民よ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」

(詩50:7、13~14抜粋)

旧約時代の礼拝では、定められた動物のいけにえが捧げられていましたが、人々の心が神様から離れていくにつれて、本来のいけにえの意味が次第に薄れてしまい、儀礼的なものになってしまいました。
この50篇に呼応するかのようなダビデの詩が次の51篇に載っています。
「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」

(詩51:16~17)

これはダビデが、バテ・シェバとウリヤ事件の悔い改めを歌った時の詩です。ダビデは死罪に当たる重い罪も、神様の御前に心砕かれて悔い改めた時に、深い憐れみによって赦されることを知りました。
また詩篇を読むと、ダビデは人生の中で切実に神様のご臨在を求め続けた人物であることが、よく分かります。ダビデは神が自分と共におられることが恵みであり、それこそが人生の最上の喜びであることを学び取っていきました。
ダビデは「罪の悔い改め」、「救われた喜びと神様への感謝」、「神様が自分と共におられる喜び」をいけにえとして捧げること、これこそが神様の求めておられる本当のいけにえであることを悟ったのです。そして、その喜びと感謝を全身全霊で捧げたのでした。

学校名
音楽神学校 ワーシップ ! ジャパン
学長
ジョシュア佐佐木
事務局
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCC205 総動員伝道内
設立
2002年4月
受付
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TEL
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