礼拝音楽と伝道

心と技 1サムエル12章22節


 音楽を学ぶという時、私たちがまず思い浮かべるのは、演奏技術を研く、作曲や編曲の技法を学ぶ、あるいは発声のテクニックを習得するといったことではないでしょうか。どのようにすれば、より豊かな音楽的表現ができるか、どうすればよりすばらしい芸術的作品を作ることができるか、ということに心が奪われてしまいます。

 音楽大学に通っていた頃、朝から夜まで私の頭の中は、発生のテクニックのことでいっぱいでした。バッハを演奏している時も、ヘンデルを歌っている時も、発生のことしか考えていませんでした。技術がすべてだと思っていました。技術に裏付けされた私の「美しい声(?)」を聞いて人々は喜ぶのだと思っていました。なんという浅はかな男でしょう。今、そのときの自分の心の状態を思い出すと、穴があったら入りたい気持ちになります。バッハやヘンデルが作った、紙をほめたたえる素晴らしい音楽の本質など、さっぱり分かっていなかったのです。ただ表面的な演奏の技巧だけを追い求めていたのです。

 この経験を通してお伝えしたいのは、主に従い、教会に仕えている音楽奉仕者も例外ではなく、技巧、技術に心を奪われてしまうという危険性があるということです。

 神は真の礼拝者を求めておられます。霊とまことをもって、心から主に礼拝ワーシップをささげること。何よりも神を第一とする真の礼拝者たる音楽奉仕者とならなくてはならないのです。技に心惹かれ、技を第一とすることのないようにしなければなりません。

 しかし、技術が必要ではないといっているのではありません。
技は大いに必要です。音楽的テクニック、会衆を導くための技法、人をそらさないためのMCの技術など徹底的に訓練し向上させていかなくてはなりません。それらの技を礼拝ワーシップの表現として神の栄光の為に捧げていくのです。

 ミラノの大聖堂の屋上に上がったことがあります。驚いたのは屋上の隅々まで、美しく繊細な技巧を凝らした彫刻が施してあったことです。屋根の上なので、人が地上から見ることはありません。しかし人が見ることのできないような所にすばらしい芸術作品があるのです。昔、それらを彫った職人たちは、ただ神様に見てもらうために、自分達の技のすべてを注ぎだして、一生懸命ひとつひとつ心を込めて彫ったにちがいありません。神様はどんなにかお喜びであっただろうと思います。

 神の栄光のため、神に礼拝ワーシップを捧げるため、技は必要です。しかし、神様は私達の心を見られます。祈りつつ、主に従っていきましょう。アーメン



ジョシュア佐佐木